bono1978の雑記BLOG

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回顧2021

 2021年の振り返りと、お気に入り作品のまとめ。

【アニメ】

・配信サービスは、主に「Amazonプライムビデオ」を利用中(必要に応じて「Netflix」「dアニメストア」を併用。)

・今年は例年ほどアニメ視聴意欲がわかず、代わりにNetflixで韓国ドラマを観てみたりした(『梨泰院クラス』『D.P. -脱走犯追跡官-』『イカゲーム』など)。

スーパーカブ第1話……静かで落ち着いた雰囲気が魅力的だった。実際、冒頭3分間にはセリフが無く、冒頭6分間では主人公は誰とも会話をしなかった。教室で聞こえてくる生徒同士の会話は、主人公にとっては環境音でしかなさそうで、孤独な雰囲気が良いなと思った。
 静かという点では、劇伴の慎重な使い方にも好感を持った。第1話ではおそらく主人公の気持ちが安らいでいない時間には音楽が流れない。この法則性により、主人公がスーパーカブとの相性の良さを予感したり、乗車時間を楽しんでいる雰囲気が音の面からも味わえた。こういう静かな雰囲気のアニメも良いものだ。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』……TV版の放映開始前から注目していたアニメファンのひとりとして、ついに完結してよかった。

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ……『王立宇宙軍』を初めて観た時のような、「新しいアニメ」のインパクトを感じた。

『漁港の肉子ちゃん』『サイダーのように言葉が湧き上がる』といった、「これは自分向けの映画ではないだろうな」と思いつつ観に行ったら、やっぱり自分向けではないものの、意外と満足感があったアニメ映画があった年だった。

【ゲーム】

・SwitchとPCを利用。PS4はあまり使わないので今年処分した。OculusQuest2を購入した。

・PCOverwatch……発売5周年を迎えたが、まだ遊び続けている。若干飽きてきたので、『2』が待ち遠しくはある。しかしながら、27インチゲーミングディスプレイを購入後、新境地を開拓。これまで苦手意識が強かったダメージヒーローでも、活躍できるようになった。ディスプレイのおかげでエイム能力が向上したのね。なので、最近は「ソルジャー76」をよく使っている。あんなに苦手だったのに、我ながら意外な変化である。あと、今年のトピックとしては、ブリザード社のセクハラ問題の影響でマクリーの名前が変更になったりしましたね。

・Switchスーパーマリオオデッセイ』……購入したのは数年前。導入部の演出を子ども向けっぽく感じて、長年放置。そして今年。YouTubeのSwitchソフト紹介動画で勧めている人が多かったので再プレイ。そしたら、とても面白かった。敵に乗り移って操る仕組みも楽しい。ファミコン時代のレトロなビジュアルを演出として取り入れたステージもあり、大人だからこそ感動できる要素もあった。高評価にも納得である。

・Switch『Road 96』……僕はウォーキングシミュレーターが好きだ。敵に邪魔されず、フィールドを歩き回って物語を体験するのが好きだからだ。だが、このジャンルには弱点がある。イベントとイベントを繋ぐ中間地点では何も起こらない。その無風地帯をひたすら歩いて移動するのがダルい点だ。それを避けるために、映画の編集のように、何も起こらない部分をカットして対処する作品もある。だが、それだと空間の連続性が薄れて、スケール感が損なわれる。その点を、このゲームは上手く解決した。ポイントをつなぐ長距離移動はバスやオートバイで自動的に行われ、特に散策させたいポイント内でのみウォーキングシミュレーターになるシステム。これなら連続性を維持しながら、ダルい移動はせずに済む。そのシステムに好感を持った。また、厳重な警戒網をかいくぐって独裁国家の国境を越えるゲーム体験もスリリングでよかった。ただ、ひとつ残念なことに、登場人物に魅力が乏しく、肝心の物語にそこまで夢中になれなかったのが惜しかった。

・PC『Inscryption』……『ファミ通』の『無慈悲な8bit』で勧められていたので購入。暗く不気味な雰囲気、ゲーム内世界と現実が入り交じる感覚、手に汗握るカードバトルが印象に残った。

・Switch真・女神転生V』……未クリア。序盤で、中国の地母神「女媧」が西洋の天使を殺しまくる場面があり、「現代の世界情勢っぽい!」と思った。

映画

・今年は「アカデミー作品賞の受賞映画で、まだ観ていない作品を観る」をテーマに配信でいろいろ観たりした。

『グリーンブック』……配信で観て気に入った。黒人差別の風潮が根強いアメリカ南部を、黒人ピアニストが演奏ツアーで回る。そこにイタリア系移民の雇われ運転手が同行。長時間一緒に行動するうちに、考え方の異なる者同士が理解を深め合っていく話。

音楽

音楽配信サービスは「Spotify」を継続して利用中。

・映画館で最新映画を観た後に、サントラをSpotifyですぐに聴くことができるのが便利だった。『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』『ラストナイト・イン・ソーホー』など。あと映画じゃないけど、ラブライブ!スーパースター』の歌もよく聴いたかな。

その他

・コロナの影響で各種イベントが中止になったり、ロフトのトークイベントを配信で観ることができるようになった。そのため、今年は一度も東京に行かなかった。冬コミは開催されたが、あまり遠出する意欲がわかず、参加せず。

藤津亮太さんのメルマガで連載していた水池屋さんの原画集レビューが最終回を迎えたので、配信番組にゲスト出演した。

・Clubhouseは、業界人のオフレコトークを聞くのが面白かったのだが、アプリの利用者層が一変して、あっという間にブームが過ぎ去った。

・ほぼ月1のペースでZOOM雑談会を開催して、遠隔地の友人との雑談を楽しんだ。

『ラストナイト・イン・ソーホー』の感想

 同じエドガー・ライト監督のショーン・オブ・ザ・デッドホット・ファズも「確かに面白いけど、僕の大好きなものではないなー」と思った記憶があるので、今回観に行こうか迷ったのだが、これは観てよかった。

(以下ネタバレ感想)

 

 

 

 

・ファーストカット。パースのついた廊下の向こう、自室のドア枠の四角いフレームの中で踊る主人公のシルエットで始まる。この構図は、ラストのファッションショーで再び使われるので、映画の最後に「主人公の夢の実現」を強く印象づけられた。

・話が進む中で、物語の進行方向が「デザイナーになりたい」「(夢の中で)歌手になりたい」「事件を解決したい」と移り変わっていくので、少し混乱した。でも、最終的には「デザイナーになりたい話」に戻って終わるので、綺麗にまとまった印象を受けた。

・導入部で寮に馴染めない様子などを手早く描いて、主人公に共感させるのが上手いと思った。

・男性客の言葉がワンパターンでサンディが呆れるシーンは、漫画の『メンズエステ嬢の居場所はこの社会にありますか?』で同様のシチュエーションを見たことがあった。その漫画でも、男性に怪物的なイメージを抱くようになったり、女性が心を削られていく表現があった。だから、『ラストナイト・イン・ソーホー』の60年代イギリスの悲劇は、遠い昔の解決済みの問題というよりは、日本では現代にも依然としてあるものだと感じられた。イギリスではもう無いのだろうか。

・60年代のエロティックなショーが異様で悪趣味でグロテスクなものに見える演出はよかった。悪趣味だけど、作り込まれたバッドテイストの魅力があるのもよかった。配信が始まったらもう一度観たい。

・事件を解決しようとする過程で、主人公が各所で変人扱いされるのだが、「言ってることが理解されなくてかわいそう」と同情するのではなく、「いったん落ち着いて病院で診てもらったほうがいいのでは…」と感じた。その辺りに限っては、映画の歯車と自分の歯車が噛み合わなかった。

・主人公が内見した部屋を絶賛したシーン。最初に観た時は、「大家のおばあさんは褒められてきっと喜んだだろうな」と思った。けど、物語の終盤で、ひどい思い出が詰まった部屋だと分かってからは、部屋を絶賛されて「何も知らない小娘が!」と思ったかも、と思った。

・映画にしても小説にしても、しばしば、黒幕の正体が明かされる前に薄々気づいてしまうケースがあるが、この映画では、おばあさんがサンディだったとはまったく思いもしなかった。上手く隠されていた。

・悪い男が女性に逆襲されるという点ではデス・プルーフ in グラインドハウスを連想した。僕はデス・プルーフが大好きなのでたまたま連想しただけだが、そういえばエドガー・ライト監督はグラインドハウスに関わっていた。

・主人公は60年代ファッションの見た目に憧れるのだが、その服がどのような場所で誰に着られた歴史を背負っているのかまでは想像していなかったのではないか。だから、その内実が明らかになっていくような展開に好感をもった。

(2021年12月12日 @TOHOシネマズ浜松)

『漫画のネームを描いてみよう!』提出作品

 漫画家・冬乃郁也さんとアニメ評論家・藤津亮太さんのワークショップ『漫画のネームを描いてみよう!』をオンライン受講しました。
 「コマを割って漫画を描きたい」と思ったことはないのですが、描き方を教わって自分で描いてみたら、漫画の読解力が上がるかな?と思って参加してみました。

www.asahiculture.jp

<授業の流れ>

 全2回で第1回(10月23日)は講義。漫画の見せ方の原則や、脚本を元にネームを描く場合のノウハウなどを教わる。
 最後に宿題が出るので、用意された脚本を元にネームを締切までに描いて提出する。脚本のラストは空欄になっており、オチは自分で考える。
 第2回(11月27日)は講評。全員分の提出作品を画面で順番に見ながら、添削指導を聞く。

<印象に残ったところ>

 第1回:普段「なんとなく」で漫画を読んでいるので、コマとコマの間の幅で時間経過を表現するとか、主人公はなるべく早く出すとか、めくって次のページの最初に決めゴマを置くとか、教わって初めて「確かに、普段読んでる漫画ってそうなってた!」と気付かされた。
 あと、漫画家が脚本を読んでネームを生み出す工程は、読者からは見えない部分なので、そこで何が行われているのかの話も面白かった。

 第2回:講評に入る前に、宿題用の脚本を元にプロ漫画家3人が描いた場合のネームが例として示された。それを見ると、おおよそ共通した見せ方に着地している。漫画には効果的な見せ方の方法論があるので、ジャンルや出自の異なる人が描いても、そういう結果になる、という話が面白かった。
 あと、受講生の宿題の添削後のものを見ると、直す前よりも格段に面白くなっていて、「プロが少し手を入れるだけでこんなに変わるのか!」とびっくりした。

<提出したネーム>

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<講評>

 1ページ目でキャラと状況の説明をしたり、最初の方で主人公を大きく見せたり、ページをめくって右上に決めゴマが来るなど、ポイントは一通り押さえられているので、このままで良しとのことでした。
 脚本の空欄をどう埋めるかをいろいろ考えた結果、途中から脚本に無いオリジナル展開に突入させていったので、描いてて怒られるんじゃないかと心配でしたが、大丈夫でした。

<描いてみた感想>

 教わった漫画の原則に従うと、全体のページの中で脚本上の見せ場を置く場所は自ずと決まる。なので、それ以外をどう並べていくかを考えるのが、パズルのような感じで面白かった。

 ただ、思いつくままに描くと、普段読んでいる漫画のような読みやすいコマ割りにならない。だから、いろんな漫画をじっくりと観察してみた。その過程で演出上の工夫にいろいろと気づけたので、受講の目的だった漫画の読解力向上には役立ったと思う。

 受講前に漫画を読む時は、ほとんど絵とセリフしか見ていなかったけど、実際に自分で描いてみることで、作家ごとのコマ割りの個性なども意識してマンガを見れるようになったので、受講してみて良かったなと思いました。

『Overwatch』発売5周年

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本日5月24日でOverwatch発売5周年だそうで。僕も未だに毎日のように(1日1試合程度)PC版をプレイしています。ずいぶん長期間遊んだものだ……。

このゲームは、FPSの6vs6のチームバトル物です。僕はFPSが苦手なのですが、「普段FPSをやらない人にも是非プレイしてほしい」と『無慈悲な8bit』(『週刊ファミ通』2016年7月7日号)に書いてあったので、「食わず嫌いせずにやってみるかなー」と手を出してみたのが約5年前。確かに、いろんな特性を持った幅広いキャラクターの中から自分の役割を選べるので、僕みたいに照準合わせが苦手な人でも、それなりに戦いに貢献できるのが楽しいですね。

5年の間にキャラクターが増えたり、ゲームバランスが調整されたり、いろいろなことがあったなぁ……。Overwatch2』も楽しみです。

Steam版『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』感想

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(開発元: Giant Sparrow(アメリカ)/2017年)
(★★★★★/日本語版、コントローラー対応、クリアまで数時間)

【あらすじ】

 500年に渡る富と不幸の伝説に彩られたフィンチ家。その末裔・エディスは、ワシントン州オーカス島に残された実家の空き家を6年ぶりに再訪し、家族の思い出を振り返る。

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【感想】

 一族の思い出の品々で埋め尽くされた屋敷を舞台に、彼らの人生の末路を追体験していくウォーキング・シミュレーター。数年ぶりに再プレイした。

 フィンチ家の人々を襲う死の瞬間には共通点がある。それは、「幸福をもたらしたもの」が同時に「死因」にもなっていることだ。例えば「お風呂」がその人に幸福をもたらせば、それが「溺死」の原因にもなるといった具合に。
 だから「死」を描いたゲームではあるけれど、恐さはあまり感じなくて、むしろ幸せな気持ちがどんどん膨らんでいく興奮が味わえる。でも、その興奮は破滅へのカウントダウンでもある。その2つが渾然一体となった、他では得難い感覚を味わえるのがこのゲームの最大の魅力だ。
 中でも僕のお気に入りは、お風呂でおもちゃと遊ぶ妄想にふける赤ん坊のグレゴリー。それと、缶詰工場の職場で単純作業を続けるうちに、RPGに出てくるような王国の白昼夢に取り憑かれていく青年ルイス。この2人のエピソードが特に印象的。
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 さて、ゲームの中盤までは、そうした奇妙な物語のような「死」が描かれるが、長老格のイーディに逆らって、エディスの母・ドーンが家を出る辺りから「死」の描かれ方に変化が起きる。今回のプレイではそこが気になった。

 イーディは、伝説に彩られたフィンチ家の「伝説の続き」を作り続けることを好んだ人だと思う。「屋敷の地下に住むモグラ男」のゴシップ記事を部屋に飾ったり、夫はドラゴンに殺されたと語ったりした。屋敷の奇妙な内装も、彼女が作り上げた部分が多い。「語り手」としてのイーディは、事実よりも伝説を好んだ人物と言えそうだ。であれば、家を出る直前にエディスが受け取った本に書かれた物語も、海底から現れた旧宅で幻を見るくだりなど、どこまで真に受けて良いか疑問が残る。

 また、本を受け取る直前、イーディとドーンが口論する場面では、日本語字幕では「私の子供たちはそれで死んだのよ」と出るが、英語のセリフを聞き取ると「My children are dead about your story!」と言っている。ドーンは、イーディの物語によって子どもたちが死んだと解釈している。

 僕が思うに、おそらくこのゲーム中の世界には、一族を襲う「呪い」のような現象は無い。ただ、偶然起きた不幸を「伝説の一部」だと解釈したがる人が居て、個人の人生が「伝説を構成するパーツ」にされてしまうことが一族の不幸のように感じた。

 実際、家を出たドーンの死は静かなもので、劇的ではなかった。それはイーディの元を離れたことによって、語り手がエディスに切り替わったからではないか。そして、エディスはエディス自身の言葉で子供に人生を伝えようとした。また、語り手を失ったイーディの末路はあいまいである。
 この「視点(語り手)が変わることで、劇的な死が描かれなくなっていく」転調が今回のプレイでは気になった。つまり、この作品では「奇妙な物語のような死」の描写が印象的だが、むしろ、それとのコントラストによって終盤に「平凡な死」が描かれることこそが重要なのではないか。

 故人の人生を把握するには、残された語り手の言葉が手がかりになる。だが、注意しないと、語り手のドラマティックな演出によって、故人の人生が奪われてしまう。受け取る側も好奇心からドラマティックさを好んでしまう部分がある。しかし、果たしてそれは良いことなのか? 再プレイの今回は、自分の人生の物語を他人の物語に取り込まれないように守り抜くかのような終盤の展開が印象に残った。

P.S.

本作に影響を与えた百年の孤独に興味が湧き、読みはじめた。